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2009
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心の中、もしくは感覚の中で、
自分の認識したことのない感覚に襲われるような体験を、
今までに何度かしたことがあった。
大学の中でのコンサートで、シェーンベルクの歌曲を聴いていた時、
初めて不協和音の織り交ざった音楽体験のなか、
内臓がぐるぐるうごめき、快感とはまた違ったなんともいえない感覚を今でも時々思い出す。
先日、作曲家の宮崎滋氏の作品の公演を聴いた時の事、
ピアノのソロを聴きながら、自分が感覚の深淵に入り込み、
音の波の中で漂っているような感覚になった。
そして、音の中に身をおいているその感覚の心地よさというものを、
なぜか強く感じていた。
演奏の素晴らしさと私自身の音楽を希求する心が丁度波長を合わせたことが、
その状態に導いたと考えられるが、
近頃味わった事のない、良い悪いという評価とは全く異なる価値観の中での音楽体験だった。
また、次に向かうエネルギーとなって私に蓄積される体験だった。(2009.12)
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台風の爪あとで散った葉っぱの中に、黄色い葉っぱ見つけて歩く散歩道。
飼っている黒柴犬のさくらの毛がそろそろ冬毛になるのか、
このところあまり抜けないで落ち着いている様子。
今年は冷夏の影響でようやくちまたに出始めた美味しい新米。
最近よちよち歩きの息子・想真に、散歩に出かけた際日陰では寒かろうと一枚多めに掛けてあげる上着。
季節の移ろいの中で、少しずつ生活の中に出てくる変化。
どれも、今は「秋」を感じるもの。
冬に向かう中の、止まることのない変化の季節だからこそ、
その変化を見つけ、感じることが、秋の楽しみ方なのかもしれない。
日本人の感性の豊かさは、 この変化を読み取る力を季節の移ろいの中で自然と身につけているからなのだろうか、
とふと考えた。(2009.10)
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いよいよ季節は秋になって来ました。
先日、私が指導していたシュナイト・バッハ合唱団の最終公演を聴きに行ってきました。
私のミュンヘン音大留学時代の師匠でもあるシュナイト氏のまさに最後の公演となるものでした。
そして、多くの団員の方々にとっても最後の公演でした。
最初から胸が熱くなり、涙を度々流すような素晴らしい演奏でした。
しかし、最終曲の「Dona nobis pacem 」では、今までに無い思いになりました。
「私はこの感動を得る為に、今まで音楽に関わってきたのかもしれない」と。
芸大時代から教会音楽を多く学び、ミュンヘン音大でシュナイト氏と出会い、
シュナイト・バッハ合唱団が東京で設立され、先生が日本に来られるようになり、
私が指導者として携わり、多くの団員の方々に出会い、
バッハのロ短調ミサを一緒に勉強し、取り組み、
ハワイにも演奏旅行に行き…、
今この瞬間にこの胸におこる感動を感じるには、
これらの経験の何か一つでも欠けていたら実現できないと思ったからです。
いかにその時の演奏が素晴らしいものであったかを、
今までの過程を経てきた結果、感じることが出来ました。
個人的な関わりの中にもたらされた感動ではありましたが、
私にとっては絶対的な価値のある瞬間でした。
深い感動に出会えて本当に私は幸せです。
今後こんな感覚に襲われるような事はあるのでしょうか。
次のその機会にめぐり会えるように願って、音楽と関わっていきたいと思います。(2009.9)
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関東では梅雨が明けました!
夏は暑くてぐったりという方も多いと思いますが、 なんと言っても夏祭りの季節。
私はこの解放的な気分の夏は嫌いではありません。
郷里の彦根ではよく盆踊りで踊っていました。
最初は少し気恥ずかしさを覚えながら踊っていたのが、そのうち太鼓の合いの手と謡に合わせながら勝手に体が弾むように動いていたのを覚えています。
この盆踊りのような身近な祭りにおいての身体の快感は、人間の根源的な表現である舞踊に通じるものがあるなと感じています。「見る」「見られる」といった日常と離れた「ハレ」の場であるというのも祭りの大きな意味であるという事ですが、単純になんとなく「楽しい!」という気分が体に染み付いています。
厳しい夏をこの「楽しい」気分で乗り切れると素敵ですね。 (2009.7) |
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