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2014
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白骨の章
金沢の東山からすぐの卯辰山には蓮如堂があり、その傍らに蓮如の像が佇んでいる。
この地に移り住んできた2年半前、私はすぐにこの像のある卯辰山を訪れた。
“「白骨の章」より”という、私が大切にしてきた曲がある。
蓮如の御文書の「白骨の章」を曲にしたもの。
私の郷里・滋賀を仏教音楽を作曲する為に人生の終焉に選び、東京から移り住んだ作曲家・荒井哲との出会いは、ご縁というもので結ばれたものなのか、必然だったのか分からないが、彼が私に歌う事を許して下さったこの“「白骨の章」より”は、これまでバッハやヘンデルというキリスト教音楽に深くかかわっていた私には、転機を与えてくれる重要な曲となった。
私はそれまで、歌う事で信仰に関わる音楽を表現して来た。
時に音楽は宗派や経典の直接的内容を越えて、全体としての信仰、人間の生きている真理のようなものを表現する。そして、ヨーロッパでは、演奏家自身がその信仰を持たなくても音楽として作曲家の意図を表現できればいいんだという考えで、私たち信仰の違うアジア人を教会のコンサートのソリストとして迎えてくれる。そのヨーロッパにおける文化に対する懐の広さを常々感じ、そこにおける音楽家としての責任の重さも強く意識してきた。
しかし、私の信じている、と言っていいかどうかも自分では定かではないが、最も身近にある仏教の浄土真宗の蓮如上人の言葉によって、またそれを演奏する事によって、私は心の奥底にある私自身の信仰を見たような気がするのである。
2年半前、蓮如象を前に彼を大切にしている金沢の地で、この“「白骨の章」より”をいつか演奏出来ればという思いだったのだが、先日それが叶う事となった。
フルートと歌のみの静寂に包まれた集中した演奏だった。
聴いて下さっているお客様に音と言葉が沁み入っていく感覚を覚えた。
フルートは上石薫氏。何度もリハーサルをして下さり二人で作り上げた音の世界は、どこか現生を離れた様にも思えるものだった。
本当に演奏出来て、有り難かった。またこのような機会があればという思いだ。
今日は秋晴れの中、卯辰山の蓮如像を再び訪れた。
変わらず彼は大きく私を迎えてくれた。
「南無阿弥陀仏」と手を合わせる事が、自然に出来る様になって来たような気がする。(2014.11) |
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2013
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天からの微笑み
もうすぐ東京・五反田でのリサイタル。先日ピアニストの奥田和さんに、わざわざ金沢まで来て頂き二人で練習をする。距離というものは物理的に様々な影響をもたらすが、すでに構築してある人間同士の感性における距離が近ければ、高い地点にたやすく到達できるという事を実感した稽古だった。
彼女との練習の後、一人で稽古をしていた時、アスリートのように体への意識が強くなり、必死になって理想の声・音楽に集中していた。その時ふと、亡くなった恩師、木村宏子先生の事が頭によぎる。「もっと楽しんでやりなさい」と先生が静かに微笑んで声を掛けて下さったように感じる。魔法のように私の体から余計な力が抜けて、次の瞬間から自由な表現が体をすり抜けて音となる。本当に不思議な出来事だった。
私達の体の数え切れないほどの細胞の一つ一つが、毎日滅び、また新たに生まれ私達の体を形成している。その細胞を用いて脳からの信号で筋肉が動き、摩擦が起こり、共鳴腔を広げ、響く事で歌が生まれる。その中で、感じる事の身体への影響は計り知れないものがあるというのが今回の体験である。
運動として意識的な身体への歌のための働きかけがあった上で、それとは逸脱した解放への感性的な働きかけが、舞台の上でどれだけ出来得るのか。
常に私達演奏家にとっての課題であるが、その不確定な要素があるからこそ、ライブというものの価値があるのかとも思う。(2013.1) |
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2012
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好きなもの
人間訳もなく「ああ、これ好き!」と思うものがある。
理由などない。ただ直感的に好き、という気持ちに駆られる。
そして、それに出会う度に「やっぱりこれいい…」って思う。
数年前から私がこんな気持ちになるのが、「こけ」。
え?「こけ」?
そう、「こけ」なのです。
以前住んでいた世田谷の自宅のそばにあった馬事公苑に、
入ってすぐを右に行った所の桜並木のトンネルがある。
その桜の木が見事にこけむしていて、その色合いがとても美しかった。
湿度によってその色合いは変化するのだが、
じめっとした木の幹のこげ茶をバックにパステルカラーのグリーンや
鮮やかなグリーンがグラデーションを奏でながら波打っている。
質感も少し厚みのあるカーペットのよう。
見るたびに心を奪われていた。
そして、春に移り住んだここ金沢は湿度が高く、至る所に「こけ」が見られる。
「こけ」好きにはたまらない地だ。
先日金沢城のお堀を散策していて見つけた「こけ」を写真に収めた。
少し自分好みの色にしてみたのだが、
なんとも美しい。
「好きなもの」があるって幸せです。
こんなことで気持ちが高鳴るんですものね。
ホント個人的な喜びですけれど…。(2012.12) |
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金沢の秋
ここは金沢。四月に東京を後にして早半年が過ぎ、生活も心持ちも落ち着いて来た今日この頃です。
この間様々な出来事がありましたが、多くの方との再会を誓ってのしばしの別れ、そして新たな方々との出会いという、人生の大きな岐路においての人の心の有難さを感じずにはいられない日々でした。そして、オーケストラ・アンサンブル金沢との10年以上前にご一緒した際にお世話になっていた事務局の方や、金沢で活動しておられる芸大の先輩や同級生達との再会というのも大きな喜びとなりました。全く知らない土地ではなく、すでに足跡を残しておいた痕跡がまだ残っていたというのには、私自身驚かされもしました。
7月には既にパーセル「ディドとエネアス」公演で金沢オペラデビューも果たす事が出来、それがご縁でいくつかの歌う機会も頂いております。有難い事と感謝して、とにかく自分の精一杯の表現をしたいと思っています。
金沢では、私の大好きな「川」のある暮らしが心をゆったりとさせてくれます。浅野川に架かる浅野川大橋のすぐそばに居を構える事が出来たのは、大きな幸せでした。観光地で有名な東茶屋街からもほど近く、風情ある景観の街並みを徒歩ですぐに見る事が出来ます。また近江町市場からも近く、時間を見つけては食材を買いに出かけます。11月初めには「かに」の漁が解禁となるので、いよいよ冬の日本海の味覚を堪能できると今から楽しみにしている所です。
まだまだ金沢の事は分かっていませんが、ゆっくりと感じて行けたらと思っています。(2012.10) |
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新たな旅立ち
昨年のリサイタルの後、しばらくして東日本大震災が起こりました。
日本中の人々の心が、その後起こった様々な苦難に立ち向かう中凍りつくような状態になりました。私もこのメッセージを書けないでいました。
それから、「ようやく」なのか「早」なのか一年が過ぎようとしています。
時間はどんな状態に私達が置かれていようとも止まることなく流れ続けます、流れ続けてくれます。そして、多くの悲しみや受けた苦しみも時と共に少しずつ癒されて行きます。しかし、と同時に私達は心の中の記憶というものを時と共に薄れさせもします。
心に携わる表現を生業にしているものにとっては、その事を意識して自分の活動に活かして行かなければならないと思っています。鎮魂と希望、そして心の平安、私達に出来る事の範囲でしかありませんが、意識して携わって行きたいです。
私がこのメッセージを書けなかった大きな理由としては、もう一つあります。
人生においてのおそらく大きな転機となるであろう事がこの一年で決定したからです。
学生時代から留学時代をのぞきほぼずっと住んできた東京を離れる事となったのです。赴き先は金沢。私の大好きな街です。指揮者の岩城さんと出会ったのがアンサンブル金沢のオーディションでした。その後、何度も金沢を訪れてコンサートに出演させていただきました。最近はあまり行くことはありませんでしたが、主人の仕事の話が金沢だと聞いて、私はすぐに賛成したのですが、その時の金沢の印象がとても良かったからです。
いろいろと春から事態が動いて、転居が決定したのが昨年の5月ごろでした。震災によって家族で一緒にいられる事の有り難さを再認識できたのは、私にとっては気持ちの整理に大きな後押しとなってくれました。しかし、不安はありましたし、たくさんの方々とのお別れは気持ちを重くしました。
今はとにかく毎日追われるように過ごしていますが、気持ちは前向きに次に向っていくべく東京で出来る事を精一杯やれればと思っています。
今週末は京都コンサートホール(大)で、来週はフェリスでのコンサート、これは3年間勤めたフェリス女学院での最後のお仕事となりそうです。3月は7日にせんがわ劇場でのコンサート、11日は故郷滋賀の米原市ルッチプラザでのコンサートです。精一杯頑張りたいと思います。
皆さんに応援していただいたお陰で私も様々な活動がこれまで出来ました。心から感謝申し上げます。
ひとまず金沢では基盤を一から作って行く事になると思います。新たな出発になりますがこれからも皆さん、温かく見守っていただきますようどうぞよろしくお願い申し上げます。(2012.2)
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2011
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2011年2月3日のリサイタルを終えて
会場はたくさんの聴衆で一杯になっていた。
ステージへはお客様の間を通って行くが、
足を踏み入れたときには、すでに何か熱気に近い温かい空気が
満ちていたように記憶がよみがえる。
ステージがフラットであるという事と、
今回はあまり大きな会場を選ばなかったということもあり、
今までになく聴衆との距離が近い公演だった。
しかし、それは物理的な距離だけでなく、
聴いて下さっている方の心と私の心との精神的な距離も近い
公演だったといえる。
木村敏著「あいだ」という本があるが、
演奏者と演奏する作品との「あいだ」、その作曲者と演奏者との「あいだ」、
演奏者同士の「あいだ」、そして、演奏者と聴衆との「あいだ」、
音楽が音として物理的に振動して伝わっていくところの
空間としての「あいだ」。
その全ての「あいだ」の在りようで、
演奏の内面にまで至る音楽的体験がどのようなものであったかが
私達の中に伝わっていく事になる、
音楽にも造詣の深い著者の、演奏におけるその場所における現象を、
様々な人間や我々を取り巻く環境との関係性を表す一つの例として挙げ、
「あいだ」の存在を説いた本である。
今回の公演は、聴衆の方々との「あいだ」も共演者の奥田和さんとの
「あいだ」も、想像以上に私との距離が近いものであり、
かつ私を包み込むような愛情に満ちたものであったような気がしてならない。
そして、私を包み込む演奏を取り巻く空間が、
作品の内部へと私をいざない、
私と作品との「あいだ」へも大きな力となって包み込んで
くれていたように思う。
今回の演奏は、物理的な現象として私の肉体が奏でるもの以上に、
その「あいだ」という観点から見た効果の方が遥かに大きかったと思える。
私は、今あの場に立てた幸せをひしひしと感じている。
これからも歌を続ける以上続いていく修練の大変さを思うと、
くじけそうになる自分もいるが、
私へ多くの方々から思いを頂いているという事を感じ、
大きな力を頂いている事への感謝と、それに答えなければという思いを
強くしている自分もまた、ここにいる。(2011.2)
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