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ダイアリー
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白骨の章(2014.11.13)

金沢の東山からすぐの卯辰山には蓮如堂があり、その傍らに蓮如の像が佇んでいる。
この地に移り住んできた2年半前、私はすぐにこの像のある卯辰山を訪れた。

“「白骨の章」より”という、私が大切にしてきた曲がある。
蓮如の御文書の「白骨の章」を曲にしたもの。

私の郷里・滋賀を仏教音楽を作曲する為に人生の終焉に選び、東京から移り住んだ作曲家・荒井哲との出会いは、ご縁というもので結ばれたものなのか、必然だったのか分からないが、彼が私に歌う事を許して下さったこの“「白骨の章」より”は、これまでバッハやヘンデルというキリスト教音楽に深くかかわっていた私には、転機を与えてくれる重要な曲となった。

私はそれまで、歌う事で信仰に関わる音楽を表現して来た。
時に音楽は宗派や経典の直接的内容を越えて、全体としての信仰、人間の生きている真理のようなものを表現する。そして、ヨーロッパでは、演奏家自身がその信仰を持たなくても音楽として作曲家の意図を表現できればいいんだという考えで、私たち信仰の違うアジア人を教会のコンサートのソリストとして迎えてくれる。そのヨーロッパにおける文化に対する懐の広さを常々感じ、そこにおける音楽家としての責任の重さも強く意識してきた。

しかし、私の信じている、と言っていいかどうかも自分では定かではないが、最も身近にある仏教の浄土真宗の蓮如上人の言葉によって、またそれを演奏する事によって、私は心の奥底にある私自身の信仰を見たような気がするのである。

2年半前、蓮如象を前に彼を大切にしている金沢の地で、この“「白骨の章」より”をいつか演奏出来ればという思いだったのだが、先日それが叶う事となった。
フルートと歌のみの静寂に包まれた集中した演奏だった。
聴いて下さっているお客様に音と言葉が沁み入っていく感覚を覚えた。

フルートは上石薫氏。何度もリハーサルをして下さり二人で作り上げた音の世界は、どこか現生を離れた様にも思えるものだった。
本当に演奏出来て、有り難かった。またこのような機会があればという思いだ。
今日は秋晴れの中、卯辰山の蓮如像を再び訪れた。
変わらず彼は大きく私を迎えてくれた。
「南無阿弥陀仏」と手を合わせる事が、自然に出来る様になって来たような気がする。


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